okken.jp
Apr 21, 2017

ありがとう 金山!

愛之助の弁慶、梅玉の富樫、魁春または壱太郎の義経で「勧進帳」

梅玉の忠兵衛、愛之助の八右衛門で「封印切」

梅玉の源太、愛之助の平次、壱太郎または魁春の千鳥、東蔵の延寿で「源太勘当」

魁春&梅玉で「将門」や「落人」、、後者なら伴内に愛之助

などなど、見たい演目、配役は、いくつも思い浮かぶ。楽しみです。それに、ふだん東京にいても、あまり出会うことのない座組み・顔合わせなので、とても新鮮な気がする。舞台にも新しいイキ、間合いが生まれ得る座組みです。

本格的な花道、回り舞台をそなえた金山のこの市民会館を、昭和の早いうちに建てておいたから、御園座建て替えのあいだも、顔見世を名古屋から絶やさずに続けることが出来た。この会館がもしもなかったら、顔見世はたぶん、名古屋から、無くなっていたと思う。

だから、施設が古いとか雰囲気が殺風景だとか、トイレが頼りないとか、いろいろ悪評価ばかりが取り沙汰されているが、ぼくはこの会館に本当に感謝している。指摘されているそれらの事柄は間違ってはいない。だがそれらは皆、老朽化したホールの宿命だし、近い将来の建て替えが決まっている以上、大々的な改修費はもう投入できない。名古屋から顔見世の灯がなくなるか、施設の物足りなさを嘆くかのトレードオフを考えれば、ぼくは、会館の古さや公共のホールゆえの芝居小屋としての情緒の乏しさも、いさぎよく受け入れたいと心に念じて、この5年を過ごしてきた。そして、老体にムチを入れて顔見世を支えてくれている、金山の市民会館に感謝してきた。

遠くない将来、役目を終え、この会館自体も永い眠りにつくだろう。芝居でいえば「二条城の清正」のような、今生の最後の大役を果たしてくれたのが、金山の市民会館の顔見世だった。本当にありがとうございました、とただそのひとことを、ぼくは言いたい、捧げたいのだが、名古屋の熱心な歌舞伎ファンから、それとはちがうベクトルの声、というか不平不満、もっといえば悪口が、「金山の顔見世」に対して少なからず聞こえるのは、たまらなく悲しい気持ちがする。ぼくがもしこのホールだったら、見捨てられた気がして死にたくなると思う。名古屋が「行きたくない街」と言われると、みんなぎゃあぎゃあ騒ぐくせに、地元の劇場や歌舞伎公演には平気で冷たい声を浴びせる。。。こうした雑音が自然に消えていく、収まっていくことを願うし、その火消しの役目も、ぼくは金山への恩返しに果たしたい。ありがとう金山!のことばをかけ続けたい。

6月の中村座、夏の巡業、初秋の名古屋をどり、そして錦秋顔見世、、、年が明け春が来れば、新しい御園座のこけら落とし。
これから1年、自分の故郷は、歌舞伎、古典芸能が軸になって、躍動感あふれた時が流れる。自分の生涯の中でも、本当に大切な一年だ、と肝に銘じて、全力で駆け抜けたい。

kaomise