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Nov 16, 2020

藤十郎さん、ありがとうございました。

坂田藤十郎さんが亡くなられた。享年88歳。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

1990年、、、ぼくがどんどん歌舞伎の魅力にとりつかれていったあの頃、藤十郎さんは、前名・中村鴈治郎を三代目として襲名なさった。11月の歌舞伎座での披露興行は、ぼくが本格的に歌舞伎を見るようになってから初めて体験する襲名公演だった。

この月、個人的にいちばん熱中したのは、ひるの部の最初に上演された「陣門/組討」で、吉右衛門・勘九郎(のちの18代目勘三郎)の鬼気せまるような空気感の舞台が忘れられない。春まだ浅い浜辺で、源氏方の侍親子が、皇族の私生児である敵の若武者の命を守るために、悲愴極まる犠牲を強いられる物語、、、劇場最上階の立ち見席まで、突き刺さるがごとき海風が吹き上がってくるような、ものすごい時間だった。

ひるの部の鴈治郎襲名披露の「吉田屋」は、「陣門/組討」のあと、舞踊の一幕をはさんだ、ひるの最後の出し物だった。放蕩がたたって実家を勘当され、スカンピンになっても、恋しい遊女のことが忘れられず、師走の冷たい風のなかを、ふわふわと浮き立つような足取りで廓に姿を見せる若旦那、、、ほんわかとした花道のあの登場の雰囲気が、「陣門/組討」でピーンと張り詰めたまんまの自分の気持ちを、のんどりと緩めて柔らげてくれる、、、見にいくたんびにそんな実感につつまれた、あのときの歌舞伎座だった。

懐かしさと、人がこの世を去ることが、背中合わせ・同義になる場合が、50も半ばになってだんだん増えてくる。それがいまの率直な思いである。藤十郎さんさようなら。すてきな舞台の数々、本当にありがとうございました。