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Mar 1, 2021

「連獅子」雑感

谷底に突き落とされても、くじけずに這い上がってくる子だけを育てていく、、、おなじみ「獅子の子育て」の厳しさを描いた歌舞伎舞踊「連獅子」は、こんにち、最も人気の高い演目かもしれない。

それは一つには、実際の役者父子が親獅子・子獅子に配役されることが多いので、獅子の子育てと、役者の子育て、すなわち親から子への芸の受け渡し、芸道の厳しさとが、自然なオーバーラップを生み、観客にひとしおの感動と興奮を覚えさせるからだと思う。

歌舞伎役者父子・歌舞伎役者一家の、いわばドキュメンタリーのひとときに、そのとき見ている「連獅子」は化しているわけだ。

それ自体は悪いことではないし、ご見物が舞台からどんな形で楽しさや喜ばしさを受け取ろうとも自由だ。

ただし、現実の演者親子が配役されることで、親獅子の役・親獅子のおどり、子獅子の役・子獅子のおどり、というそれぞれの技芸自体を、虚心にピュアに味わうことが難しくなる、、、これもまた紛れもない事実だ。

現実の親子というフィルター、バイアスは、とてつもなくかかり方が強い。血縁関係のない二人が親獅子と子獅子をつとめた場合のほうが、そういう余分な力学に左右されずに、二人の演者それぞれの「親、ということの表現」「子、ということの表現」に集中して見ることが出来る。

事実、かつて「連獅子」とは、そういう演目だったし、そういう配役で上演されることが多かった。ということは、観客も、今よりもっと、そういう見方を欲していたのだと思う。極端な話、親獅子の演者が子獅子の演者よりも若くても、芸自体を楽しむ上では、なんら問題はないのだ。そういう感覚で見ている観客が、かつての歌舞伎には、もっと沢山いらっしゃったのだと思う。

現実の親子共演の「連獅子」が格別に喜ばれる、昨今の歌舞伎の客席は、もしかしたら、ワイドショー的な空間なのかもしれない。そのことを自分は否定はしないが、何かモヤモヤした思いを打ち消すことも、出来ずにいる。

(絵・瓜谷茜)