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Aug 2, 2021

老いの繰り言

先月の大相撲名古屋場所は、新横綱を生む場所となった。年に一度、わが故郷にやってくる大相撲。子供のころ、父方の祖父がよく連れていってくれた。いろいろな思い出がある。

大ファンだった高見山が外国人力士として初の優勝を飾ったのが、昭和47年の名古屋場所。嬉しい嬉しい7月だった。そしてその翌年、昭和48年の名古屋場所は、輪島の横綱としての初土俵の場所だが、優勝したのは、琴桜だ。北の富士との優勝決定戦を制しての栄誉だった。

なぜそれを克明に覚えているか、というと、これで雌雄が決する、という両者の大一番の、時間いっぱいの仕切りに入ろうか、という瞬間、正面の席でおじいちゃんと見ていたぼくは、かん高い声で

「いよ、ご両人!」

すっとんきょうに掛け声を飛ばしたのだ、何を思ったのか。
あまりの唐突さに、愛知県体育館が爆笑で満たされた。
となりで、恥ずかしそうに笑うおじいちゃん。
ばつが悪くなったぼくは
まぁ、飲んでよぉ
と、ビールをとっさにすすめた。
つまり、あまりの反響の大きさに、しでかしたぼく本人まで、恥ずかしかったんだなぁ。

で、琴桜が勝って、表彰式も済んで、表へ出ると、優勝パレードがいよいよ始まる。
押すな押すなの人だかりが出来ている。そのもみくちゃの中で
「おい、じじい、押すなっていってんだろが!」
おじいちゃんが、罵声を浴びせかけられた。
「押すな!おい、聞こえんのか!押すなって!」
おじいちゃんだ、怒鳴られてるのはおじいちゃんなんだ、とぼくも気がついて、にわかに緊張してきた。
ぎゅっと手は握ってるんだけど、右も左も、前後も、人また人だから、姿も顔も見えない。だから余計に緊張する。

と、そのときだ。上ずったようにかすれた声を精一杯はりあげた、おじいちゃんの、申し訳なさそうな返事がとなりの人波の中から聞こえた。

「すいません、子供に見せてやりたいので、、子供だけすき間に入れてやってください。小さいから邪魔にはならないはずですから」

そのあともしばらく、怒鳴られるつど、ただこの詫びことをおじいちゃんは繰り返し続けた。顔は見えないまま、その声だけが何度も何度も、ぼくの耳に届く。

おじいちゃんは小児科の開業医で、日頃から先生、先生、と慕われてたし、白衣を着たときなどは特に、子供心にも、立派でかっこよかった。そんなおじいちゃんとは、とてもじゃないが思えないような、済まなそうな気弱な声で、頼みこんでいる。孫であるぼくのために恥をかいて、迷惑者になってくれている。

すき間に割り込んだほうが、おじいちゃんは喜ぶんだろうか?それとも遠慮して後ろに下がったほうが、おじいちゃんがもう怒鳴られなくて済むから、そのほうがいいんだろうか?

パッと判断ができなくて、不安におしつぶされそうで、ただ、ぐずぐずしているうちに、パレードのブラスバンドが演奏を始めた。いよいよだ。

オープンカーにニコニコ顔でまたがった琴桜に、カメラのフラッシュが雨あられとたかれる。ぱしゃっ、ぱしゃっ、とシャッターの音があちこちからする。

人と人のすき間から、たしかに、見えてたような記憶が、うっすらと、残っている。さっきまで裸で表彰を受けていた横綱を丸く大きく包み込んだ、黒い紋付きの着物の、光沢のあるしなやかな肌触りが、こちらまで伝わってくる気持ちがした。

琴桜の、これが、現役最後の優勝だった、と思う。遅咲きの横綱だった。おじいちゃんは、この人はまさか横綱になるとは、おじいちゃんは思わんかったなぁ、大関で終わるとばっかし思ってたけど、びっくりしたなぁ、と日頃から何度も言っては感心していた。

老人は同じことを何度も口にし、話題にするということを、ぼくはおじいちゃんから学んだ、というか、意識にすりこまれた。そして、同じことを繰り返すそこには、繰り返したくなるなんらかの理由や動機も、その人なりにきっと、あるんだろうなぁ、ということも学べた気が、いま、している。

同じ話題を、えんえんとお年寄りが繰り返すのも、面倒がらずにそれを聞いているのも、何か柔らかなのどかな時間に思えて、ぼくは、嫌いではない。そしてたぶん、ぼくだって、そういう老人になってゆく。