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Sep 27, 2021

阿古屋が教えてくれること

10月、わが故郷名古屋の劇場・御園座では、坂東玉三郎さんを中心とした座組みで歌舞伎公演が開催される。玉三郎さんの指折りの当たり役「阿古屋・あこや」がかかるのが、まことに楽しみだ。

姿をくらました敗軍のつわもの・平景清(たいらのかげきよ)の居場所を探り当て、息の根を止めたい源氏の勝ちいくさ側が開いた、いわば戦後処理の裁判の場面。取り調べに連行されてきたのが、景清と恋仲の遊君阿古屋だ。

恋人の行方は私も知らない、と主張する阿古屋に対して、わからずやの役人・岩永(いわなが)は力づく・拷問づくでも居所を吐かせる、という荒けた態度を崩さない。阿古屋は困惑し絶望にうちひしがれるが、もう一人の知的で温厚な役人・重忠(しげただ)が、絶妙の助け舟を差し出す。

ひとかどの遊君ならば、楽器のたしなみも大したものであろう。阿古屋よ、琴、三味線、胡弓を、これからここで奏でてみよ。そのすべての音色に汚れがなければ、恋人の行方を知らないというおまえの言葉を信じよう。

かくして、一心に音を紡ぎだす阿古屋と、全力集中して耳を傾ける重忠との、真剣勝負が始まるわけだが、片やこの間岩永は、退屈そうに居眠りしたり、阿古屋が胡弓を奏でる身振り手振りを演奏にあわせてユーモラスに真似たり、、、要するに、まるでこの時の演奏を味わえていないし、そもそも聞ける耳を持っていない。なのでおのずと、阿古屋と重忠の、演奏・音楽がとりもつコミュニケイションから、はじき出されて門外漢となるわけだ。

このくだりを見るといつも思う。

「わかるやつにはわかるし、わからないやつにはわからない」

世の中って、いつだって何だって、結局それだ。

そして、だからこそ、わかるやつになったほうが、自分自身が得をする。

音楽を聞く。本を読む。絵画や美術を見る。スポーツに打ち込む。美味しい食事に関心を寄せる。旅をする。

さまざまなたしなみごとの意味は、それに尽きると思う。

歌舞伎を見ることも、その中の一つなのでしょう。