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Dec 5, 2018

吉右衛門さんの写真展

銀座のミキモトのギャラリーで、中村吉右衛門さんの写真展を見る。鍋島徳恭氏撮影。手透きの伊勢和紙にプリントされた当たり役の数々が、ほの暗い会場いっぱいに大きく躍る。

https://www.fashionsnap.com/article/2018-11-07/mikimoto-kichiemon/

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今回はとくに、役々の顔の化粧のディテールが、演者やその登場人物の内面と一体感を持って、鮮明に力強く伝わってきた。

たとえば、「千本桜」の知盛。眉、目張り、頬にやどる死の影、その上に額からだらだらと流れおちる血潮、の筆づかいが、重層におりなすさまには、化粧が完成していく、つまり吉右衛門さんがだんだん役と一体になっていく時間の積み重なりが、克明に残されている。息をひそめて見入った。

役者が、自身の顔の造作とその役の性根を、いかに調和させて化粧を仕上げていくべきものか、その作業を通じて人物になりきっていくか、に、初めて思いが至った気がする。吉右衛門さんは絵が、見るのも描くのも、大好きな方だ。そうやって培われた美意識、絵心、絵筆への親しみ、がここにはいかんなく発揮されているにちがいない。

歌舞伎の化粧は、これはれっきとした、顔をキャンバスにしたアクションペイント、ライブペイントなんだ、と気がついた。そして、その日の芝居が終われば、化粧は楽屋の風呂場で、きれいさっぱり、跡形もなく洗い落とされてしまう。まるでそれは、チベットの砂曼荼羅である。毎日初日、とは吉右衛門さんの養父・初代吉右衛門の言葉だが、化粧においても、それは真実なのだ。