Jan 2, 2018
怒りの広島・祈りの長崎
歌舞伎座のイヤホンガイド初日チェック&手直しのあと、夕方に読了。「長崎の鐘」「この子を残して」の永井隆博士が、被爆する前にすでに白血病に冒されていて、余命に限りがある状況だったことを、初めて知る。氏の奥さまの実家は、浦上の隠れキリシタンを束ねる長(おさ)をつとめていたそうだ。
長崎の被爆都市としての姿勢、あり方は、しばしば「怒りの広島」に対して「祈りの長崎」とたとえられるが、そこには、この町のキリスト教との長年の結びつきが、色濃く反映されている。神の思し召しが、人間の大罪(原爆、戦争)のいわば「いけにえ」に長崎、聖地浦上を選んだ、という視点。神が「大罪をあがなえ」と自分たちに命じている、という崇高な着想。広島が「爆心地」と主体的な感性をもって強く呼ぶ地点に、長崎は「原爆落下中心地」と、客観的な呼称を与えているのも、その一例ではないか、と著者は言う。
長崎では5年ほど前に、広島では昨年に、ともに原爆を意識しながらの町歩きはしたが、この本を携えてぜひまた訪ねなくては、と思った。隠れキリシタンの里・浦上には、被爆の当時には、大規模な刑務所があり、中国や朝鮮の人たちも少なからず収容されていた。何層もの悲しみが重なりあった悲劇が戦争であり原爆だということを、よくよく考えなくてはいけないなぁ。