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Aug 11, 2019

政岡の炊事

8月の歌舞伎座の公演が始まった。毎年定着している、1日を午前、午後、よるに分けての三部制公演だ。11時開演の第一部には、大名家の乳母・政岡が、お家乗っ取り派の悪計から若君を必死に守る名作「伽羅先代萩」が出る。政岡が、おなかを空かせた若君と、自分の息子の千松のために、ご飯を炊いてやる、いわゆる「ままたき」のくだりも、(最近カットされることもしばしばあるのだが)きちんと上演される。

屋敷の台所で悪者たちから毒を仕組まれるのを警戒して、政岡は、奥まった一間の、お茶の釜やお点前道具を用いて米を炊く。その一連の作業を、茶道の作法を取り入れた手順でこなしていく。茶筅で米をとぎ、ふくさも端正にさばく。

この演出・趣向には、女形の日頃のたしなみを披露するという意味もあるにはあるが、それ以上にやはり、心をこめて若君を守り、我が子も養っている、という政岡の立場や心情を描いくためのものだ、とぼくは考えている。

ところが最近、本当にお茶をたてているようにしか見えない、お点前の手際にばかり夢中の政岡、がほとんどになってしまった、と思う。炊事の雰囲気がこの場面から、まるでなくなってしまったのである。

かあちゃん腹へったー、と愚図る子供たちを、ごめんねぇ、もうちょい辛抱してね、、、ほらほら泣くんじゃないの、とせかせかしながら一生懸命手を動かし、火加減に気を配っている、、、絶品と讃えられた6代目中村歌右衛門の政岡には、濃密にそれがあった。映像で改めて振り返ると、武家こしらえの立派な茶道具が、日々の生活で使いこまれたガスコンロや流し台まわりに、いつのまにか、自然に見えてくる。政岡もいつしか割烹着姿に見えてくる。

お点前の手順も政岡の性根も、演者自身の身体に染み込ませに染み込ませて、さらにそれを煮込みに煮込んで、初めて到達できる芸境なのだとは思う。道のりは果てしもないけれど、でも、政岡というお役の、こういう味わいを、いつか誰かに、また見せて欲しい。先代萩とは、そういう値打ちの芝居なのである。