Jan 25, 2021
ヨシギューの割り箸
10年くらい前かなぁ、大阪上本町の真夜中の吉野家でのことです。歌舞伎の仕事で、年末年始をまたいで、このエリアのビジネスホテルに滞在していました。
夜なべ仕事の合間にひもじさを覚え、ホテルを出てすぐの吉野家に入り、大盛り、玉子、味噌汁の「三種の神器」で空きっ腹を養ってたら、彼の頭上だけ昭和のまんま、といわんばかりのパンチパーマちりっちりの兄ちゃんが入ってきた。
ぼくとまったく同じ組み合わせの三品を、彼もオーダーしたんですが、注文の終わりがけに
「あ、それからなぁ、、、」
「はい、何でしょう」と店員。
「箸を、持ち帰りの割り箸に、したってくれん?」
「はい、かしこまりました」
やがて彼の希望通り、箸が取り替えられて、品々が出てきた。
うむ、とうなづき、無言でひたすらかきこむ、その彼。
あの姿を見ていて、大阪って町の枕ことばでもある「食い道楽」という一言を、強烈に思い出しました。食通というのは、こういうことにこそ、あてはまる気がしたんだよね。値段とか店の豪華さとか、そんなことじゃない、食材や料理が高級かどうか、上ランクかどうか、でもない。
資源のリサイクルという意味では、難のある行為なのかもしれませんが、割りばしでかきこんでこそ吉野家の牛丼なんだ、という揺るぎないふるまい、とでも言おうか、、、何か理屈じゃ語れないカッコよさみたいなものを感じたのでした。
店内用の箸で食べても、ぼくには、吉野家、美味いけどねホントに。
それにしてもあの夜の彼は、よかったなぁ。