積み上げた思い
名古屋御園座、こけら落とし千秋楽の前夜がふけてゆく。
きょうはお昼すぎに、東京から名古屋へ到着して、まず、中村吉右衛門さんの楽屋に挨拶にうかがった。
ひるの口上がすみ、そのあと、4時からの石切梶原にご出演まで、いったん楽屋を出られるので、そのタイミングを見計らっての訪問。名古屋のこけら落としに来てくださったことへの感謝、石切の感想、義太夫節の音楽を用いた芝居を後世に伝えることの難しさ、体調管理のこと、などなど、、じかにお話するのは、2015年の金山での名古屋顔見世のとき以来だが、その間も、芝居は大事に大事に拝見してきた。この方の芝居を見ることが、この方との、その時その時のこころの会話、、、ぼくにとっての歌舞伎は、つきつめれば、その一点に集約している。
だからだろうか。自分でも不思議なくらいに、ご無沙汰しています・お久しぶりです、という気持ちがしなかった。じかにはお目にかからなかったここ二、三年のあいだに、自分の中に積み上がっていたいろんな思いを、言葉のやりとりの中で確かめる。そんな時間の流れ方を感じた。なんだか自分が、港へ帰ってきた船になったような気がした。サン・ジョルディの日にちなみ、印象派の画家たちの言葉を集めた小本を、お土産にお渡しした。
自分にとって本当に大切なひと、かけがえのないひと、大好きなひと、と一緒にいる時間・いられる時間は、必ずしも、自分の人生の持ち時間の一番多くを占めてはくれない。そういうものだ。そこに生きてゆくことの寂しさも、寂しいからこその尊さも嬉しさも、ありがたさもある。吉右衛門さんは、ぼくにとって、そういう存在なんだなあ、と改めて噛みしめながら、楽屋をおいとました。いっそうの気合いを込めて、4時からの石切梶原をきょうも見た。この次お目にかかるときまでの、また新しい積み上げが、ぼくの中で始まっている。恥ずかしくない自分を、もっともっと、作っていかなくてはいけない。