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Oct 10, 2018

貴ノ花と輪島

輪島の横綱土俵入りの写真を左右反転させてみたら、案の定、あの強烈な右からの絞りをすずろに思い出す型になった。この人について語ると、ぼくは、結局は、貴ノ花を語ることになってしまう。

彼の盟友・初代貴ノ花は、引退の前々場所、星数こそ9勝6敗だったが、15日間にわたって、まことに見応えのある、中身の濃い相撲を取りきった。その楽日の対戦相手が輪島で、貴ノ花は終始攻めに攻めたが、しのぎきった輪島がけっきょくは逆転し、ゆえに貴ノ花の勝ち星は二桁には届かなかった。

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実況は名人北出清五郎。
「さぁ貴輪戦(きりんせん)、かつてみんなが期待した意味合いこそ薄れましたが、それとは別の価値や重みが、やはりこの顔合わせにはあります。注目しましょう、、、待ったなし」と、深い温かい言葉で二人に花を添えて、いつも通りの綺麗な立ち合いで相撲が始まる。。。もうこの時点ですでに、両者と北出が創りあげた芸術だった。

何度も寄って吊って、でも力尽きて、貴ノ花が土俵を割ったとき、北出は「あぁ、、最後は番付の差でした」と、勝ったとも負けたとも言わずに、しみじみと両者の熱戦をたたえた。攻めた貴も耐えた輪も、眉間も顔も皺づくしの、すごい顔つきだった。

ぼくは密かに、今でも、貴ノ花が引退を本当につよく意識したのはこの一番だった、と思っている。世間が好む「千代の富士が引導」(この翌場所、千代は一方的に貴に勝った。)ではなく。力を出し尽くし攻め尽くしたが、自分同様に力士としては晩年の輪島に結局は負けた、というこの一番こそは、貴ノ花が現役の土俵に美しく散らした最後の花だった。顔じゅうの力皺がほどけた、おだやかに納得した表情で敗者の花道に向かう、あのときの彼の姿が忘れられない。それをちゃんと丁寧にとらえたテレビカメラも素晴らしいと思う。そして、貴ノ花の引退を「恋人をなくした気分だ」と悲しんだ輪島は、翌場所すぐに、まさにあとを追うごとくに、土俵に別れを告げている。

北出は、昭和47年9月の千秋楽、場所後の二人の大関同時昇進につながる、あの伝説の、水入りの名勝負も実況している。
「(解説の玉の海に)こうなるとどちらも勝たせたいですねぇ、、、」
「若い力、次の時代をつくる二人、、、貴ノ花に輪島、、、」
貴輪戦が、一番輝きに満ち期待にあふれていた頃である。

そんなふうに大きく期待されて、でも、実現や完結を見ることは、かなわなかった物語。世界には、そういう、かなしく切ない物語だって、たくさんある。でも、それにはそれで、何にも代えがたい味わいや香りが、一つ一つ、しっかりと息づいているのだ。完成したことだけに価値があるのではなくて。

そういう味わいや香りがわかる、愛せる人間になれ、とぼくに教えてくれたのが、貴ノ花と輪島だったんだなぁ、と今、こころから思う。お会いしたことはなくても、これからもずっと、大恩人。本当にありがとうございました。