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Jul 2, 2019

海老蔵づくし

7月の歌舞伎座、よるの部で市川海老蔵さんが挑む、13役早替わり・演じ替わりの芝居は、名作「義経千本桜」が下敷きだ。その主だった登場人物を、ことごとく海老蔵さんで演じてしまおう、という思いきった趣向である。

上演に先立ち、いわゆる「椎の木~小金吾討死~すしや」のくだりの台本に、目を通す機会を得た。

なるほどなぁ、と思った。このくだりの主役は、いがみの権太と呼ばれる、奈良の吉野のすしやのどら息子だが、全体を通して、権太本人が舞台にいる正味の時間は、じつは長くない。そして権太のほかにも、彼のがんこ親父やら、弥助というすしやの奉公人のやさ男やら、立ち回りの末に壮絶な最期をとげる若者・小金吾やら、いろんな人物が現れては、それぞれの存在感を発揮して、物語をつむいでいく。

つまり、このくだりの中身をきちんとフォローするには、権太以外の人物の活躍もきちんと見届けることが欠かせず、しかし同時にそのことが、主役の権太の芝居の正味時間を少なくさせている、、、そういう宿命を背負った作品なのである。

お目当てのアーティストのライブに行ったら、ここぞというときの何曲以外は、腕達者なサイドメンたちの演奏ばかり聞かされた、、、いわばそんな感じだ。どれだけサイドメンたちがいい演奏を披露してくれても、なんだかなぁ、という気持ちも生まれかねない。

歌舞伎になじみの薄い観客にとって、これは、フラストレーションがたまる展開だろうし、圧倒的な海老蔵ファンにとっても、上演中に海老蔵さんを見ていられる「正味時間」の短い、時間効率のわるい芝居なのだ、もともとの千本桜の権太のくだりは。生々しく言ってしまえば。

ところがそれを、今回は、ぜんぶ、海老蔵さんが演じてしまう。権太も、その親父も、弥助も、小金吾も、、、だから、芝居が進んでも進んでも、舞台にはいつも海老蔵さんがいる。彼が舞台にいない時間、のほうが、もしかしたら短いのではないか。それくらい徹底している。前菜から、お造りから、椀物から焼き物から煮物から、デザートにいたるまで、一つの食材でとことんもてなす、何々づくし、のあの感覚である。

こういう早替わりの趣向は、江戸時代後期の歌舞伎でも人気があった。ということは当時の見物客たちにも、主役、というか自分のお目当ての役者を、出来るだけ長い時間見ていたい、という欲求があったんだろうなぁ。そのニーズに芝居も応えていたわけだ。今回のこの企画を通して、往時の芝居と観客の関係性、やりとりに思いをはせるのも、なかなか面白いことだなぁ、と感じている。7月4日の初日が待たれます。