勧進帳のノーサイド
ラグビーのワールドカップが素晴らしい盛り上がりを見せている。大会マスコットのモチーフになったのは歌舞伎舞踊の「連獅子」だが、ぼくにとってラグビーとつながる歌舞伎は、なんといっても「勧進帳」だ。
主君の義経を守りぬいて、なんとしても関所を通過しよう、と気力をふりしぼる弁慶。そうはさせじと立ちはだかる関守の富樫。お互いが全力を尽くして対峙しあった末、義経と弁慶のきずなに心打たれた富樫は、関所を通す決心をする。責任はすべて自分がとる、という覚悟とともに。
すなわち富樫は、いずれ自分が、腹を切るつもりでいる。義経も弁慶も、富樫のこの心意気に、自分たちへの思いやりに、深く感謝を抱くうちに、幕切れの有名な、花道の「飛び六法」へと舞台はすすんでいく。
一連のこの展開が、ぼくには、ラグビーの、激しいぶつかりあい~試合終了のホイッスル~ノーサイド、の一連の流れ・世界観と、すごくつながって見えるのだ。
ノーサイド、すなわち、試合が終わればサイドはなくなる。敵も味方もない。一緒にナイスゲームを展開しあった、創造しあった、仲間同士。それがラグビーの精神だ。義経や弁慶やほかの家来たちと、富樫をはじめとする関所の面々も、まさに同じ間柄だと思う。スクラムやタックルは芸のぶつかりあい。双方が素晴らしいトライを決めて拍手や掛け声を浴び、最後にはノーサイドの拍子木がチョーン!と鳴る。
そして、個人的に今回のラグビーでつよく感じるのは、日本チームも、ほかの国のチームも、あくまでも「国」のチームだということ。「国籍」や「人種、民族」で定まったメンバーではなくて、日本であれば日本につどったラグビー仲間、ラグビーでつながった仲間、そのきっかけや縁を作ったのが日本だから、日本チーム。これが素晴らしいと思う。これもノーサイドだなぁ、壁がないんだなぁ、と感動する。
いつの日か歌舞伎にも、役者、演奏者、裏方スタッフに、いろんな国や地域の人たちも普通に存在している・参加している、、、そんな状況が生まれるかもしれない。その場合、抵抗を感じる人もいるかもしれないし、ぼくだって最初は違和感を持つかもしれない。でもそのときに、今回のラグビーのことを思い出したい、思い出そう、と。そういう気持ちを大事にしたい。排他的な姿勢や態度に終始するのではなくて、可能なかぎり開放的な考え方を示したい。だって、歌舞伎は「世界遺産」だ。いまや世界の文化だ。日本のよさや美意識を大切にしつつ、世界にも開かれた歌舞伎文化、として、これからも前進していって欲しいなぁ、と願ってやまない。