okken.jp
Aug 17, 2020

いろんなめにあう

先日のプロ野球の試合で、ジャイアンツの原監督が、ピッチャー温存のためもあって、負けゲームの終盤に野手に登板させた。この采配が賛否を呼んでいるが、否定的な評論家の大半が、監督未経験者、という点が、ぼくにはとても興味深い。江夏、江川など歴代のエースピッチャーが、そこに含まれている点も興味深い。野球というスポーツ、ピッチャーという生き物の、なんたるかを感じさせる。

そして、否定論のなかにある「お客様に失礼」という意見が、「貴重な光景に居合わせられた」と肯定的に受け入れている当日の観客の声(これがすべてではないとは思うが)と、乖離している点も、おもしろい。一時代を築いた名選手・名投手の野球観や美学が、ユニフォームを長く着ていない間に、じっさいの野球場のファンの声と、まったく合わなくなっている現実に、哀愁さえ感じる。

自分はジャイアンツファンではないけれど、それでも、ぼくに言わせれば、原監督は、相当の名将だ。甲子園のアイドル時代に始まり、スター街道まっしぐらの現役時代だったが、選手生活晩年は、けっこう干されてたし、憂きめつらいめも味わっていた。結果としてその曲折が、指揮官としての厚みを与えていると思う。

やっぱり人間は、いろんなめにあったほうがいいのだろう。いろんな経験をする、ではなく、いろんなめにあう、ということ。この二つは、似て非なる二つだ。おそらく、芸の世界においても、能動的、自発的にいろんな経験をした、という蓄積以上に、不本意、理不尽に「いろんなめにあった」経験の積み重ねが、ものを言うのではないか。心ならずも、という苦しさや切なさ、悔しさ、さみしさ、、、その果てに花を咲かせたさまざまな表現を、嗅ぎとれるだけの感性を、自分のなかに養いたいと思う。芸を味わう側にも、ひっきょう、人間力が問われている。